KASAさん、当時の客レは後方展望し放題でしたね。
数コマ戻っておそらく小山駅停車中です。
鎖2本ですが、“あるだけまし”だったのがあの頃ですね。
48レは特殊な列車でした。
もともとは仙台発上野行き124レだったものが、昭和50年3月改正で宇都宮で打ち切られ、以後上野まで回送されることになったのですが、その区間が「回送列車」でなく「荷物列車」の扱いとなって、荷48レと附番されました。
1両だけ連結された郵便車が“営業”していたためでしょう。
つまり「荷48レ」は、ただ1両の郵便車の後ろに回送車がずらりとぶら下がった編成だったのです。
これが多客期に客扱いしたのが「臨客48レ」で、途中停車駅は、小山、古河、栗橋、久喜、大宮、赤羽だけでした。
ちなみに栗橋では本来40分くらい停車して急行1本と特急3本をやり過ごすダイヤでしたが、臨客の場合は急行1本と特急1本だけでそそくさと発車し、以後のスジは当時の「鉄道ダイヤ情報」に掲載されたダイヤグラムには描かれていません。
荷48レが本来栗橋に停車している時間帯をよく見ると、後半の特急2本の直前に予定臨8404レがやって来て、退避のため運転停車することになっています。
栗橋駅で上りの退避が可能な進路は中線1本しかありませんから、荷48レと競合してしまいます。
つまり予定臨8404レの運転に伴って荷48レは中線を明け渡さなければならず、発車時刻を繰り上げていたと考えられます。
但しそれがどうして旅客営業につながるのかはわかりませんが…
私が乗車した昭和51(1976)年8月の前月の時刻表7月号が手元にあります。
予定臨8404レは臨時急行「ざおう53号・ばんだい52号」として7月31日→8月8・13~22日に運転されていますが、臨客48レの運転日も全く一致しています。
- クモイ103
- 2018/07/22 (Sun) 13:55:50