利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
こちらには初めてお邪魔します。
f54560zgさんのサイトでお世話になっております。

今般、栗橋駅とその北方にある利根川橋梁のことが話題になり、1980年頃の橋梁架け替えの話を出させて頂きました。
1976年8月に上り臨客48レで通った際の写真がありますが、f54560zgさんのところに画像投稿機能がないようなので、代わりで申し訳ありませんがこちらに投稿させて頂きます。
左上に写り込んでいるのは私の指です。お見苦しい点お詫びします。
中学生だった私が父のハーフサイズのコンパクトカメラを借りて、EF57を目当てに宇都宮へ出かけた時のものです。
  • クモイ103
  • 2018/07/20 (Fri) 21:10:28
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
栗橋駅に着きました。優等列車を退避するため中線に入りました。下り本線と東武線との間に貨物側線があります。
  • クモイ103
  • 2018/07/20 (Fri) 21:13:52
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
東武の6000系電車が通過します。こちらはまったり停車中です。
酷い画像で失礼しました。
  • クモイ103
  • 2018/07/20 (Fri) 21:17:39
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
クモイ103さん、貴重な写真をご投稿いただきましてありがとうございます。

「上り臨客48レ」とは!!
恥ずかしながら知りませんでした。乗ってみたかったです。

車窓からの写真にはやや古いタイプの架線柱もみられますね。

1980年3月現在の線路図から利根川橋梁付近を抜粋してみましたので、どうぞご高覧ください。
  • KASA
  • URL
  • 2018/07/21 (Sat) 01:40:38
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
駅での写真もありがとうございます。国鉄時代の懐かしい雰囲気が伝わってきます。

側線(授受線)にとまる赤い移動機や東武6000系など、東武駅側の風景を拝見できて感動しております。

昭和45年とやや古いのですが、東武駅側の配線略図を抜粋しました。東武の杉戸方の出発信号機が目印になるのではと思います。

  • KASA
  • URL
  • 2018/07/21 (Sat) 01:54:54
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
KASAさん、写真の箇所の配線図をわざわざ出して下さりありがとうございます。東武の栗橋駅配線図に見える「加速線」は、f54560zg さんのサイトで公開されている国鉄側の図にはありませんね。
東武線の上り方は国鉄線をオーバークロスする築堤を登っていきますから、北千住や業平橋へ向かう貨物列車が上り1番線から発車する時に使ったのでしょうか。

当時もっといろいろなアングルで写真を撮れればよかったのですが、デジカメではありませんし、何しろEF57が牽引する客レに乗っているだけで満足していましたから、これでもよく撮っていたものだというのが今の実感です。
追加の写真は、1108M急行「まつしま3号・ばんだい2号」の通過シーンです。
  • クモイ103
  • 2018/07/21 (Sat) 13:16:45
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
クモイ103さん、こんばんは。

これはまた、とても懐かしく貴重な写真をご投稿いただきまして、ありがとうございます。

客レの最後尾、「後方展望」ができそうですね。
何度か乗ったことのある常磐線の客レを思い出しました。

>1108M急行「まつしま3号・ばんだい2号」

急行列車がまだまだ風格があった時代ですね。
いまとなっては貴重な並び写真だと思います。

53・10の改正前なので、上り列車でも愛称名には奇数番号がついてますね。

昭和48年10月改正の列車運転時刻表でみると、栗橋駅の通過時刻は15時16分30秒になっています。

「上り臨客48レ」の方も調べてみたのですが、昭和48年10月改正の時刻表には、「荷48」列車も出ていなかったです。残念。

>「加速線」

ダブルスリップの先にあるというのもすごいと思いました。貨物列車の蒸気牽引時代の名残でしょうかね。

国鉄乗越橋へのアプローチですが、線路図を調べてみたところ勾配が12.5パーミルで、R400の曲線も介在しているようです。

f54560zgさんのサイトで公開されている昭和33年の配線略図にも「加速線」は描かれておらず、謎です。

東武は久喜の伊勢崎方でも国鉄線を乗り越えますが、勾配10パーミル、R604の曲線がありますが、こちらは加速線はなかったようです。
  • KASA
  • URL
  • 2018/07/22 (Sun) 02:51:54
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
KASAさん、当時の客レは後方展望し放題でしたね。
数コマ戻っておそらく小山駅停車中です。
鎖2本ですが、“あるだけまし”だったのがあの頃ですね。

48レは特殊な列車でした。
もともとは仙台発上野行き124レだったものが、昭和50年3月改正で宇都宮で打ち切られ、以後上野まで回送されることになったのですが、その区間が「回送列車」でなく「荷物列車」の扱いとなって、荷48レと附番されました。
1両だけ連結された郵便車が“営業”していたためでしょう。
つまり「荷48レ」は、ただ1両の郵便車の後ろに回送車がずらりとぶら下がった編成だったのです。
これが多客期に客扱いしたのが「臨客48レ」で、途中停車駅は、小山、古河、栗橋、久喜、大宮、赤羽だけでした。

ちなみに栗橋では本来40分くらい停車して急行1本と特急3本をやり過ごすダイヤでしたが、臨客の場合は急行1本と特急1本だけでそそくさと発車し、以後のスジは当時の「鉄道ダイヤ情報」に掲載されたダイヤグラムには描かれていません。
荷48レが本来栗橋に停車している時間帯をよく見ると、後半の特急2本の直前に予定臨8404レがやって来て、退避のため運転停車することになっています。
栗橋駅で上りの退避が可能な進路は中線1本しかありませんから、荷48レと競合してしまいます。
つまり予定臨8404レの運転に伴って荷48レは中線を明け渡さなければならず、発車時刻を繰り上げていたと考えられます。
但しそれがどうして旅客営業につながるのかはわかりませんが…

私が乗車した昭和51(1976)年8月の前月の時刻表7月号が手元にあります。
予定臨8404レは臨時急行「ざおう53号・ばんだい52号」として7月31日→8月8・13~22日に運転されていますが、臨客48レの運転日も全く一致しています。
  • クモイ103
  • 2018/07/22 (Sun) 13:55:50
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
加速線!!
山間部だけでなく、こんなところにもあったんですね。
  • f54560zg
  • 2018/07/22 (Sun) 21:17:06
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
クモイ103さん、こんばんは。

後方からの別の写真をありがとうございます。

鉄道好きと思われる子供たちがしっかり写っていていい感じですね。当時の鉄道情景がわかる貴重な一枚だと思いました。

客車列車の最後部は彼らにとっての「1等客車(イ)の展望室」だったのではないでしょうか。今なら危険とかなんとか親たちが黙っていないかもしれませんね。

「臨客48レ」についてのご教示ありがとうございます。

宇都宮で打ち切れなかったのは1両の郵便車でしたか!!
国鉄ならではの運用だと思いますし、郵便車の重要性がわかりますね。

急行1本と特急3本の退避とはすごいですね。
予定臨との競合や調整など、当時のダイヤの複雑さが垣間見えてきます。
  • KASA
  • URL
  • 2018/07/23 (Mon) 02:07:12
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
f54560zgさん、コメントありがとうございます。

都市部の意外な急勾配ではありませんが、橋へ至るアプローチ部分の勾配や曲線にも隠れた名所がありそうです。

地図をみますと、栗橋と久喜(こちらは加速線なし)は、急な曲線を描いて、国鉄駅に接続していますね。
  • KASA
  • URL
  • 2018/07/23 (Mon) 02:39:33
Re: 利根川橋梁と栗橋駅 1976年8月
荷物列車の旅客営業も懐かしいですね。東北線は多かったように思います。どのような基準でそのような取扱いがなされたのか、旅客車の運用はどうなっていたのか(都度解結が行われたのか回送として連結したままなのか)など、面白そうです。クモイ103さん、ありがとうございます。
なお、私も古い時刻表を見てみましたが、1976年12月号では48列車と8404列車の運転日は一致していませんでした。
  • f54560zg
  • 2018/07/24 (Tue) 20:57:19

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