KASA さん
おお、これはこれはたいへん懐かしい写真の数々、感激しております。
f54560zg さんのブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」で触れましたが、
私は学生時代、上野駅列車ホームで折り返し車内清掃のアルバイトをしていました。
まさに写真を掲載頂いた1982(昭和57)年の前後です。
休みの度に“趣味と実益”を兼ねたバイトに精を出し、稼いだ小遣いで撮影旅行に出かけるパターンでした。
東北新幹線大宮開業の前後に亘る時期であり、上野駅に着発する長距離列車の劇的な変化を実感していたものです。
私がいつも配属されていた組(作業班)の担当は、エル特急「ひばり」を中心に地平ホーム着発の列車が多く、
とりわけ昼過ぎの時間帯の「ひばり」は1時間間隔で16番線に出入りしていました。
ですから当時の16番線の光景はまさに「そうそう、これだよ!」です。
17番線側を歩くハトまでが、当時の思い出につながる光景です。
(その割には柵の有無を忘れていましたが…汗)
なお写真2枚目の下のコメントで「本来は立ち入り禁止だったのでしょうかね?」と書かれていますが、
特に規制はありませんでした。まだおおらかな時代だったのですね。
2枚目と4枚目に写っているダストシュートは、車内清掃で出たゴミを投入するもので、
4枚目では、隣の17・18番線ホームで女性作業員がこれから投入しようとしていますね。
ダストシュートの蓋を開け、手前の縁に新聞紙を敷いている所です。
ゴミの中にはジュースの飲み残しが紛れ込んだりしていて、気を付けないと汚してしまうためです。
当時は今の様な「ゴミの分別」の概念はなく、新聞紙や雑誌、包装紙、ジュース缶、酒瓶、弁当ガラ、
その他もろもろ、とにかく何から何まで一緒くたに放り込んでいました。
行楽シーズンの信越線からやって来る列車は、「釜めし列車」として清掃職員から恐れられていました。
もちろん籠一杯の釜も「よっこらしょ」で投入です。仲間に「わりい、ちょっと手伝って…」ということも。
f54560zg さんのブログにも書きましたが、このダストシュートの地下には枕木方向のコンベアーがあって、
5番線以降の全ての列車ホームから、駅の東側へとゴミが運ばれていました。
その先の施設で、人の手で分別が行なわれていたことは、
後になってそこでアルバイトしていたという人に出会って知りました。
ちょうど働いていた時期が重なっていたので、お互い顔を合せることは無かったけれど、
一連の仕事を分担していたんだねと、しみじみ語り合ったものです。
私事全開の話で失礼しました。
- クモイ103
- 2019/10/22 (Tue) 10:43:53