配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
又脱線話を書こうかなと思います 鉄道関係の事を書き出すとどのジャンルも泥沼状態になると思います旧型国電も同様泥沼になる事は目に見えてますが何処迄行けるか書いて見たいとおもいます
  • yyoshikawa
  • 2021/01/15 (Fri) 18:18:01
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
yyoshikawaさん、予告をありがとうございます。

私自身はその方面は甚だ知識不足ですが、よろしくお願い申し上げます。
  • KASA
  • URL
  • 2021/01/16 (Sat) 23:18:09
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
yyoshikawaさん、KASAさん
私も「旧型国電沼」(笑)は大好きです。よろしくお願いします。
  • クモイ103
  • 2021/01/17 (Sun) 08:27:20
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
yyoshikawaさん、クモイ103さん、

>「旧型国電沼」

これは抜けられなくなりそうです(汗)。よろしくお願い申し上げます。
  • KASA
  • URL
  • 2021/01/18 (Mon) 12:48:14
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記 旧型国電の基本定義
旧型国電とは・・1958年以前に製造された車輛である 吊り掛け駆動である 構造が簡単 電動車は単独で稼働出来る(中間電動車は制御車が必要)別形式でも混結加能 制御用ジャンパー線は片栓其れに伴い車輛の方向性が有る(奇数向き偶数向き) 床下機器は電気機器側と空気機器側が有る 列車編成数が奇数数編成も偶数数編成も組める 車体構造は木造車半鋼車全鋼車が存在する 木造車の内更新工事で半鋼車になった車輛有り 客用扉は基本片開き(例外とし戦前木造鋼体化の折試作両開き扉車サハ75021有り 戦災廃車)72形更新時103系113系同型車体に更新両開き化 103系車体車は後高性能化された 
今回は此処迄 
  • yyoshikawa
  • 2021/06/30 (Wed) 18:01:37
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
yyoshikawaさん、ご教示ありがとうございます。

続きを楽しみにしております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
  • KASA
  • URL
  • 2021/07/03 (Sat) 01:45:22
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
右に同じくです。今後の展開が楽しみです。
  • クモイ103
  • 2021/07/03 (Sat) 08:35:33
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
KASA様クモイ103様有難う御座います 旧型国電に関しては大家の方々が各書籍で述べており今更と思うのですが 吊り掛け電車全般が好きだからです 旧型国電にしろ各社の吊り掛け電車は個性的な車輛が粒揃いでしたし車輛の寿命が長かったので車体の改造等が施された為個々の個性が出た 新性能電車で此処迄個性が有ったのは103系国電と東武の8000系位でしょう 
今回書こうと思うのは何故殆ど旧型電車には方向性が有るのかと云う事を考えた事でありますですので何々型の何番は如何のこうのと言う車輛個々の事では無く長きにわたった歴史から紐とこうと思う次第です
  • yyoshikawa
  • 2021/07/03 (Sat) 18:18:48
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
yyoshikawaさん、クモイ103さん、こんばんは。

私にとっては知識もなく苦手な分野の一つですので、どうぞよろしくお願いいたします。
  • KASA
  • URL
  • 2021/07/04 (Sun) 21:31:58
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記 国電の大先祖
旧型国電のルーツと言えば思い浮かぶのは甲武鐡道市街線用電車でしょう 然し更なるルーツは上野で開催された1890年第三回内国勧業博覧会で東京電灯株式会社の技師藤岡博士が渡米した時に土産として持ち帰ったスプレーグ式電車をデモ運転した日本で初めての電車でした其の直ぐ後1895年京都電気鐡道が開通 引き続き二番手として1898年名古屋電気鐡道が開通 三番目は1899年大師電気鐡道です 此の内二社は廃止され現存最古の路線は大師電気鐡道の後身である京急大師線であります尚大師電気鐡道ではかのスプレーグ電車が一時期運行されていた路線です(我が国最初の標準軌間でもありました) 蒸気列車であった甲武鐡道でも乗客に対しサービス向上を狙い電化する事となった 当時の路面電車同様二軸単車であるが鐡道線で使用する為二軸単車としては軸距が少し長いブリル単台車に大型の車体を乗せ更に当時最新のウエスチングハウス製マルチプルユニット制御装置と直通空気ブレーキを備え当初より連結運転を想定していたのは甲武鐡道の先見性であった 車体端にオープンエンドのデッキ車体端より出張たクローズべチスベル6組の窓を配置した客室客室部に端部を切落としたモニタールーフの上に前後4本のトロリーポールを設けた姿は斬新であった当時京浜電鐵や阪神電鐵ではボギー車を導入し始めた頃に単車ではあるが最新の総括制御機器を搭載し多客時には重連運転で対応する考えであったのでしょう 甲武鐡道が国有化されると此の電車も国有となり国電の大先祖となった 鐡道院では此の電動車を形式デ960形として使用した 国有化後暫くは旧甲武鐡道の引継ぎ線である中央線で使用していたが 同じく国有化された旧日本鐡道山手線を新発足した鐡道院では初めて電化し旧甲武の電車を片運転台片トロリーポール化客車改造の中間車を挟んで三輌編成で運行一部の電動車は手荷物扱いの為半室を荷物室化された この時点で奇数偶数の方向成が出来たかは疑問です 甲武鐡道出自の国電始祖デ960形はボギー電車が増備されると各地の私鉄へ払い下げられ電装品を撤去し全て客車として其々の私鉄で手頃な大きさであった為可也後迄使用された 払い下げられた仲間の内一輌が松本電鉄で使用後廃車されたが会社の好意で車輪付きの状態で専用車庫に保存された後鉄道博物館開設の折収容された唯松本電鉄の意向で原形復元では無く保管状態時の儘展示されている其れは其れで有意義と思う次第 鉄道博物館では原形模型を展示しており往時の姿を偲べます 車軸間にコンプレッサーを積んでいた事からも空気ブレーキを当初から採用して事を模型から証明している 当時通常の単車の路面電車ではハンドブレーキが普通であり 京浜電鐵のボギー車辺りが空気ブレーキを採用しており 東京市街鐵道や東京電車鐡道等の路面用ボギー電車ではハンドブレーキであったのから比べれば雲泥の差であった

  • yyoshikawa
  • 2021/08/15 (Sun) 15:36:02
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記 国電大先祖パート2
甲武鐡道出自の院電デ960形は同時代の軌道線型電車と違い蒸気鉄道線仕様であった 当初より高床ホームからの乗降を考慮した斬新な車体構造と連結運転を前提とした総括制御と空気制動の採用は当時の電車では前提が無いものでした 高床ホーム仕様であった為お役御免になっても地方のローカル私鉄に払い下げられても問題無く多数が客車として再使用され車輛寿命を全うした其の内一輌が信州松本電鉄に払い下げた後使用されなくなっても大事に保存されていたのは奇跡でした 鉄道友の会の助言が有った事も重要でした
  • yyoshikawa
  • 2021/08/16 (Mon) 17:11:54
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
yyoshikawaさん、ご投稿とご教示ありがとうございます。

院電デ960形はハニフ1形として鉄道博物館に展示されているのですね。

https://blog.goo.ne.jp/yoshi0749/e/4e8c1608c8a8b62fe4fca18e71c83078

今度訪れる時が楽しみです。
  • KASA
  • URL
  • 2021/08/21 (Sat) 08:06:56
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記予告
久々に投稿します 院電京浜線電車運行の折1200V電化され然もパンタグラフ集電という最新機器を搭載し当初より編成を意図して造らました 先に運行していた山手線等は600Vトロリーポール集電であった 当時何処の電気鉄道でもトロリーポール集電が定番の時代に初めてのパンタグラフ集電ですが現在のパンタシューではなく集電部分がローラーで有った 京浜線は急いで線路を増設したので路盤が未だ固まって無い内に当時としては重量級の電車を動かそうとしてひどくローリング揺れがしてローラーパンタが架線に引係り立ち往生するという不祥事が発生した 原因は京浜線電車を利用して青島攻略した陸軍軍人の祝賀パレードをしようとし急遽線路を敷設した事が原因であった暫くの間は地固めを兼ねて片運転台の最新車輛を単行で運行した古い写真に京浜線車輛が単行で運行しておる写真が残ってます 東京駅の新設と京浜線の開通はセットであったが一時挫折したが其の後路盤が固まり漸く連結して通常運行出来る様になりました 当初から片運転台を採用しておりますが此の当時京浜線の車輛は片運転台車輛ですが奇数向きと偶数向きは別な形式の車輛でD三等電動車と二三等合造電動車を背中合わせに編成したり中間トレーラーを組み込んで三輌編成を組んで運行一部の編成では三等手荷物郵便合造車を連結していました関東大震災の頃には帝都の省線電車は最大五輌編成も存在してます
  • yyoshikawa
  • 2023/11/25 (Sat) 19:16:47
Re: 配線図に関係ない話 旧型国電雑記院電標準化への道程
初期の院電はデッキ式運転台や正面五枚窓の玉子がた全面玉子型で正面に貫通扉を設けたり折妻貫通扉付側扉の増設で片側三扉中央扉引き戸デッキ部側扉の折り畳み扉等 一輌運転の単式制御器の車輛 複式制御器による連結運転への移行は明治末より大正時代サラリーマンが増えてきて乗客数の増加して来た其の為試作的な要素が強かった初期院電から抜け出た標準型車輛を新たに設計した其れが院電標準型デハ6310形である先ず先頭部は平妻非貫通運転台脇には窓を設けた三扉は定着全ての側扉は引き戸とした前後対象の車体600V山手線と中央線に投入 中央線と山手線直通運転通称のの字運転はこの車両が主体で運行したのでしょう此の標準車体の設計を片運転台二扉連結面妻部は貫通扉を設け連結側側扉は端面側へ設け1200Vパンタグラフを初めて装荷したのが前記の京浜線専用車です
  • yyoshikawa
  • 2024/02/13 (Tue) 16:06:32

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