f54560zgさん、コメントありがとうございます。
何かダラダラとアップロードしていて申し訳ありません・・・。
東京駅に入信がないというのは意外だと思いました。たしかに、昭和45年3月の規程をみても、構内運転区間は、電車線の方の荷電関係だけなのです。カッコいい誘導シーンが繰り返されていたのだと思います。
私が「へぇ~~」と思ったところを一つあげますと、急行「伊豆」だと思うのですが、修善寺からの編成と伊豆急下田からの編成の、熱海駅での「併合」でしょうか。
当時は、伊東線の方に誘導信号機がなかったようで、「上本」に先着した修善寺編成が、伊豆急下田からの編成が「中1」また「中2」に到着後、「中1」または「中2」に転線していたようなのです。
ただ、それを踏まえて、f54560zgさんのサイトの熱海駅配線図
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-5efd.html
を拝見させていただくと、昭和52年、昭和61年の配線図をみても、伊東線の方に誘導信号機は設備されていなかったようで・・・。
ということは、185系「踊り子」時代も含めて、現在のような、伊豆急下田からの編成が誘導信号機で入線して待っていた修善寺編成と併合する方法になったのは、
https://tabinoloop.com/atami-odoriko/
https://youtu.be/F7ZIeHo15Xo?t=619
JRになってから?
さらに、ということは、修善寺編成の熱海での入れ換えはかつてはとても有名だったのだろうか?とも思った次第です。
私は、恥ずかしながら、かなり昔から、現在の方法で併合していたと思い込んでいました・・・(汗)。