配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
HPに、

函館駅 配線略図 昭和20年代?

五稜郭(操車場)配線略図 昭和20年代?

を追加しました。
  • KASA
  • URL
  • 2023/03/25 (Sat) 16:03:54
Re: 配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
戦後すぐの函館駅と五稜郭操車場、興味深く拝見しました。

函館駅の0番線は、私が訪れていた1988年前後の時期は江差線ホームだったと思います。今はなくなっているのですね。
現在摩周丸が保存されているところは「第一航送場」です。

「第二舩入澗」の左側に「高架線」が描かれています。
もしかして貨車から船へ石炭などを積み替えるやつでしょうか?

五稜郭操の図で左上の分岐の先にある有川桟橋は、日本国有鉄道百年史によれば戦時中の昭和18年に開設されています。
当時は民間船舶の軍徴用による船腹不足で北海道産石炭の輸送が鉄道に転嫁し、
青函連絡船も急きょ「戦時標準船」を大量増備すると共に桟橋を増設するなど輸送力の強化に追われていました。
五稜郭操の配線を見ると、夕張や幌内などからやって来た石炭列車が有川へスルーできるように見えますね。
おそらくここを長蛇のセキの列がD52に牽引されて次々に通り過ぎ、連絡船に積み込まれて津軽海峡を越えて行ったのでしょう。

戦争の落とし子ともいえる有川桟橋ですが、戦後の復興と経済発展に伴う青函航路の輸送量増大で、
函館駅の2岸壁だけではとうてい賄えない船便の着発をこなす第3、第4の岸壁として物流の大動脈を担い、
昭和40年代?には、夏季の旅客輸送ピーク時に、ここへ着く津軽丸形貨客船による貨物便を臨時に客扱いし、
降りたお客をバスを仕立てて函館駅まで運んだという話もどこかで読んだ気がします。(乗りたかったなあ…)
  • クモイ103
  • 2023/03/26 (Sun) 08:01:32
Re: 配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
貴重な資料ありがとうございます。
>燈列式の入換信号機
機関区が函館方にあるために下り着発線の先頭(長万部方)~機関区間の機走線が長くなっていますので、ここを無誘導で入換するために設けられたような感じを受けます。構内本部付近に「○R」があり、下り場内信号機付近にこれと対になる「○L」がありますね。
  • f54560zg
  • 2023/03/26 (Sun) 22:16:14
Re: 配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
>クモイ103 さん、ご投稿とご教示ありがとうございます。

>>「第二舩入澗」の左側に「高架線」

たしかに、いわゆる「石炭桟橋」のような設備なのかもしれません。手宮や室蘭、さらには九州の若松などには、同種の設備でさらに大規模なものがあったのではないでしょうか。


有川の第3、第4の岸壁ですが、やはり、臨時の客扱いがあったのですね。これについてはあったか否か、ずっと気になっておりました。

乗客はバスで函館駅へ運んだとは興味深いです。さすがに、臨時列車でというわけにはいかなかったのでしょうね。


>f54560zgさん、ご投稿とご教示ありがとうございます。

「〇R」と対になる入換信号機のこと、気がつきませんでした。たしかにありますね。ありがとうございます。

機走線には軌道回路が敷設されていますね。


函館駅も五稜郭(操車場)も、ところどころ、軌道回路が敷設されている箇所がみうけられます。

分岐器の近辺は「てつ査鎖錠」のためで、函館駅のホームトラックの軌道回路は、「閉路鎖錠」のためでしょうか。

後者の例は、夕張駅のところで、f54560zgさんからご教示いただいたと記憶しております。
  • KASA
  • URL
  • 2023/03/27 (Mon) 03:43:03
Re: 配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
KASAさん
有川の客扱いの件、どこで読んだのか忘れていまして、時折り気になって探すのですがわからなくなっています…(大汗)
  • クモイ103
  • 2023/03/27 (Mon) 22:25:58
Re: 配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
はじめてコメントさせていただきます。
扇形庫の右側に「函館重油タンク株式会社」という会社名が書かれていますが,同社は昭和24年4月?に,三菱石油に合併されたようです。
(www.mitsuwa-shokai.co.jp/2-03enkaku.htmlやwww.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/30/3/30_3_39/_pdf/-char/jaの7ページ。いずれもhttps://を抜いています。)
ですので,それ以前の図面ではないかと思われます。
今後とも貴重な資料を楽しみにしております。
  • aka
  • 2023/03/29 (Wed) 03:19:22
Re: 配線略図追加 国鉄 函館駅 五稜郭(操車場) 昭和20年代? 
>クモイ103さん、フォローをありがとうございます。

私も「有川の客扱い」のことを意識しつつ記事などを探してみたいと思います。


>akaさん、ご投稿とご教示ありがとうございます。

おお、なるほど!昭和20年代の株式会社名って検索しても引っかからないことが多かったので、調べるのを怠っておりました(汗)。

貴重な情報をありがとうございます。


五稜郭と函館は、もう少し資料がありますので、アップして共有していきたいと思っております。
  • KASA
  • URL
  • 2023/03/29 (Wed) 22:54:18
国鉄 五稜郭駅 (本屋、操車場、有川) 配線略図 昭和42年3月
HPに、

国鉄 五稜郭駅 (本屋、操車場、有川) 配線略図 昭和42年3月

を追加しました。

http://railwaytrackdiagrams.web.fc2.com/seikansenpaku/hakodate/goryokaku.html#196703
  • KASA
  • URL
  • 2025/12/27 (Sat) 03:32:20
Re: 国鉄 五稜郭駅 (本屋、操車場、有川) 配線略図 昭和42年3月
興味深い資料の追加、ありがとうございます。

五稜郭操車場では、戦後すぐには旭川方から到着した貨物列車が有川へスルーできる配線でしたが、昭和42年には入換しなければ行けなくなっているのが、
入換運転になったことと関係ありそうですね。

有川には第3岸壁と第4岸壁が表示されていますが、実はもう一つ、第4岸壁の反対側(図で下側)が「第5岸壁」になっていました。
線路に関係ないので図では省略されていると思われますが、当初はここにも可動橋が設けられる計画がありました。
函館側に函館駅2+有川3、青森側も青森駅3+小湊桟橋2でいずれも合計5箇所の航送岸壁が設けられる計画だったのが、戦争の激化で実現しませんでした。
ちなみに実現しなかった有川の第5岸壁と小湊の第2岸壁は連絡船が右舷付けになります。

終戦後、壊滅した青函連絡船の応援として米軍LSTによる貨車航送が行われた際には、
青森側は当初空襲で損傷した青森3岸を仮復旧して使用、のち小湊桟橋にLST専用航送設備が設けられ、
函館側は有川の第5岸壁が使用されたと伝えられますので、その際には第5岸壁にも線路が行っていたことになります。

添付の写真は1988年5月3日、函館駅から東日本フェリーの乗り場へ向かうバスから撮った有川の様子です。
青函トンネル開通から2ヶ月、引退した連絡船が2隻係留されているのが見えます。左:空知丸、右:檜山丸です。
  • クモイ103
  • 2025/12/27 (Sat) 13:53:51
Re: 国鉄 五稜郭駅 (本屋、操車場、有川) 配線略図 昭和42年3月
クモイ103さん、ご投稿と貴重な写真をありがとうございます。

ご教示の通り、昭和20年代の配線略図をみますと、「上り副一番線」経由で旭川方から有川へ直通できるようですね。気がつきませんでした(汗)。

入換運転になったこともそれが一つの理由である可能性があると思いました。


貴重な写真を拝見しました。ありがとうございます。バスからの撮影ということですが、シャッターチャンスを逃さず撮影されていてすごいと思いました。

分解されつつあるダブルクロスは、昭和42年の配線略図にある21・22号でしょうかね。

線路表示式入換標識も設備されていて興味深かったです。

空知丸の左手前に留置?されているディーゼル機関車群は、余剰となった機関車でしょうか。


第5岸壁についてのご教示ありがとうございます。昭和43年の空中写真に番号を入れてみました。
  • KASA
  • URL
  • 2025/12/28 (Sun) 04:03:57
有川桟橋での客扱いについて
KASAさん
本スレの2023年3月26日で述べた有川桟橋での客扱いの件ですが、他の方からの情報で、青函船舶鉄道管理局発行「青函連絡船史」P.229に記載があるとのことです。
その本はかつて神田の交通博物館で閲覧し、コピーもとりましたが、そのページを含む章はコピーしておらず、どうりで読んだ記憶だけあって手元にない筈でした。
いずれ何とか再確認したいと思います。
  • クモイ103
  • 2026/01/09 (Fri) 10:35:18
Re: 有川桟橋での客扱いについて
クモイ103さん、

参考資料に関する貴重な情報をありがとうございます。

早速、検索してみたのですが、青函船舶鉄道管理局発行「青函連絡船史」(1970年)については、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができるようです。

クモイ103さんご教示の通り、229ページに、「バス継走による有川さん橋での客扱い」などによりピーク時の急場をしのいだ旨の記述がありました。この当時は、夜航便に残客を生じるほどだったようです。

以下URLは、127コマ目で、227ページとなります。

https://dl.ndl.go.jp/pid/12062469/1/127


  • KASA
  • URL
  • 2026/01/09 (Fri) 14:04:00
Re: 有川桟橋での客扱いについて
KASAさん
ありがとうございます。国会図書館デジタルコレクションで閲覧できるのですね。便利な世の中になりました。
  • クモイ103
  • 2026/01/09 (Fri) 21:53:17
Re: 有川桟橋での客扱いについて
クモイ103さん、返信ありがとうございます。

書籍資料名をご教示下さったので助かりました。

国立国会図書館デジタルコレクションは、オンラインで閲覧できるコンテンツが年々増加してきていると思いますので、本当に便利になりました。
  • KASA
  • URL
  • 2026/01/10 (Sat) 09:55:45

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