鉄道&城郭モデラーさん、返信をいただきましてありがとうございます。
あのジオラマはお知り合いの方が製作された作品でしたか。私の父に見せたかったと思いながら、拝見しておりました。
父が亡くなった際、取手駅近辺の写真があればHPに載せられるなぁと下心半分に、昔の写真の整理をしたのですが、残念ながら駅近辺の写真はありませんでした。案外撮っていないものだなと思ったものです。
以前の東口の私の記憶は、やはり雑然としていたという印象のみで、商店街については残念ながら具体的な記憶がほとんどありません。
昭和40年代後半から昭和50年代初めの頃は、まだ祖母が元気だった頃で、八坂神社のお祭りや利根川の花火大会の頃は、毎夏、取手に来ていたのですが、駅周辺で、私がいとこ親戚らと向かう先といえば、たいていは、当時盛業だったイトーヨーカドーでした。恥ずかしながら、当時の駅周辺の商店街の様子は記憶にほとんどなく、そのイトーヨーカドーの催事場で、夏休み期間中限定で「お化け屋敷」が開設されていたことのみが記憶に残っているという次第です(笑)。
商店街からはやや離れるのですが、現在の「セントラルホテル取手」があるあたりか、それよりも、やや旧水戸街道よりだったでしょうか、昭和50年前後当時としても歴史を感じさせる古い建物が残っており、父に聞くと、医師会病院だと言っていた記憶があります。ただ、病院はすでに移転していて、建物だけが残っていたのかもしれません。
その「古い建物」だと思われるストラクチャーが、昭和10年当時のジオラマにも再現されていて、「あ、こんな感じの建物だったよな・・・」と思い起こしました。添付の写真にある花壇のある建物がそれです。父が言う旧医師会病院のその建物は、たしか、昭和60年代になっても、取り壊されずに残っていたのではないかと記憶しております。
駅本屋についても、緩行線のホームの工事が始まる前、まだ東口の方に電留線があった時代は、その電留線にエメラルドグリーンの電車が留められており、駅東口側からそれら留置車両がよく見えた記憶はあるのですが、その下(?)の改札とかそういった駅本屋の様子が、正直なところ、記憶に残っていません。
当時の東口側のホームが、片面のみ利用で、電留線側には金網のような柵が張られていて、「なぜ島式にして2面4線としないのか?」などと生意気なことを思っていた記憶はあるのですが・・・。
あまりお役に立たないことを、長々と書き連ねてしまい申し訳ありませんでした。
そういえば、緩行線が取手まで開業したころのニュース映像が、ユーチューブに上がっておりました。
https://youtu.be/hDswY1K1jsY?si=jzDxvWDE1-d2B4pi&t=396
駅前広場が整備される前の東口の様子が、チラリとですが、映っているようです。