江戸時代より物流の主役は人力馬力牛力及び船運でした 馬力は主に馬の背に荷物を積んで運ぶ方法です馬一頭ずつに荷物を載せて運びますが馬一匹に馬子が必ず一人ずつ付く多量の荷物を運搬には其れなりの馬が必要となります其の為街道の宿場には必ず馬D専用の宿が有った 牛力は主に荷車を牽引する方式でした馬の背に荷物を積むより多くの荷物が運べた唯当時我が国の街道は舗装されていない馬車輸送が主力のヨーロッツパでは石で道を舗装して対応していた其れと平野主体の地域事情から馬車輸送が主力となりえた 然し急峻な地形が連なる我が国では最大の平野は関東位で有り尚且つ戦国時代末迄馬は戦争に使うのが主流でした其れに比べ牛は馬より力が有る分荷車を牽引して物流に貢献していた唯し関西での使用が主体でした牛車が動き易くする為車石と云うのを道に引き詰めていた丁度軌道線見たいな状態でした 当時の陸上輸送では一番輸送力は有った 人力輸送は人の力で荷物を運ぶ背負子天秤棒肩乗せ頭の上に乗せる大猫車等が有りました 背負子で運ぶ場合米俵を五俵背負ってる女性の姿が画像で残ってます 天秤棒では前後に同じ重量の荷物を乗せて運んだ肩乗せは木材を運ぶのに適した運搬法であり今でも当たり前に建設工事現場では主流である頭上運搬は樽や俵板等を運ぶ大八車は牛車と同じであるが人力で牽引するので牛車程は積載出来ない猫車は狭い道等での荷物運搬には向いてました大八車はリヤカーに変化猫車も建設現場等で活躍しています
最期に船運江戸時代最大の輸送量を誇ったのは水運である日本海を通る北前船は南向き航路は北海道の海産物主に昆布の輸送北向き航路では京都方面で造られた工芸品や織物製品等を北へ運んでいた北前船は日本海から瀬戸内を通り大阪に其の後太平洋に出て江戸東北を結んで荷物運搬していた江戸に向かう船便には各藩で収穫した米を江戸の各藩倉屋敷に運ぶ唯江戸湾(東京湾)御承知の如く遠浅ですので沖で停泊して笹船(川舟に積み替えて運河を通り倉屋敷に運び込んで武士の給金となった 他には荒川や利根川をさかのぼって荷物を運んだ矢張り船便が一番輸送量が高い小型船に積み替えて河川を遡り舟で行けなくなる所からは陸路で人力馬力等で運搬するのが通例であった
- yyoshikawa
- 2024/03/02 (Sat) 18:27:17