物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
KASA様 f54560zg様の汐留配線図追加に北東航21様が投稿していたお知らせ物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運のあゆみ展1月21日迄開催中です
今朝見に行きました1881年から廃止迄の各時代の配線図が多数展示されてました他には古い時代の写真が展示されてます拡大写真に何と山陽鐡道の貨車が写り込んでいました貨車用ターンテーブルであらぬ方向に停車している貨車1911年頃野配線図では駅と新橋工場網の目見たいに線路が構内に張り巡らされて更には多数のターンテーブルが其れ等の線路を繋いでいるのが凄い
尚図録も発行されてます出来れば見に行ってください
  • yyoshikawa
  • 2024/01/18 (Thu) 13:08:17
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
yyoshikawaさん、ご投稿と情報をありがとうございます。

是非訪れてみたいと思います。
  • KASA
  • 2024/01/18 (Thu) 13:53:32
行ってきました。
物流博物館の企画展「汐留駅に見る貨物鉄道と通運のあゆみ展」に本日、行ってきました。みごたえのある展示でした。

危うく行き忘れるところだったので、ご投稿いただいたことに深く感謝いたします。ありがとうございました。


図録については、私が入場した2024年1月19日午後2時20分頃には既に完売となっており、購入はできませんでした。

1階の展示はもちろんなのですが、2階の第2展示場の「東京の貨物取扱駅」の展示もよかったです。東京市場駅と芝浦駅はこちらで写真等が展示されていました。

今後、「東京の貨物取扱駅」といった企画展にも期待したいと思いました。


ところで、行き帰りとも、浜松町から札の辻陸橋あたりまで、海側の車窓をみておりましたが、浜松町のかつてカートレインが着発していた空き地のようなところに、かなり大きな重機が入り、工事をしているようでした。浜松町駅周辺の再開発と関連があるのでしょうか。

また、札の辻陸橋あたりでは、羽田空港連絡線の関係でしょうか、やはり工事が着々と行われているようでした。
  • KASA
  • 2024/01/19 (Fri) 17:09:51
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
私が18日に見にいった時には未だ図録は販売されてました何時もですと在庫が残り展示会終了後も入手出来る事が多いですが今回の企画は余程人気が有ったのでしょう早めに売り切れたのでしょう
  • yyoshikawa
  • 2024/01/20 (Sat) 17:03:54
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
物流博物館に見学に行たときに帰路は物博前の道を左折して八ッ山方向へ向かいます此の辺りは港区高輪ですが途中の十字路を右折して階段を下ると品川区北品川付近です階段下の道は高輪の台地と隣接した島津山清泉女子大学が有ります此の辺りは江戸時代城南五山といいわれる山々が有りました八ッ山御殿山島津山池田山花房山と続き目黒付近迄峰が続いてますが現在は高級住宅街となってます池田山の近所には美智子上皇后様の生家が有りましたが品川区ではお屋敷を保存しようと上皇后様にお伺いしたところ壊してくださいとの答えが有り結局建物は解体し跡地をねむの木公園にしましたねむの木公園の近所にはインドネシア大使館があります御殿山にはミャンマー大使館等結構外国んも大使館が存在してます階段下の道右左折して道なりに向かうと八ッ山通りに突き当り十字路を渡り其の儘行くと目黒川の小関橋に出ます小関橋は大崎駅の東口付近です山手通りを越えると大崎駅です以外と思うでしょうが品川駅高輪口と大崎駅東口は意外に近いのです 山手線外廻りは品川を出ると御殿山の裾を通り迂回するようにして大崎に向かう右廻りカーブで八ッ山の崖を抜け目黒川を下目黒川橋梁で渡り坂を下り大崎の構内直前のシングルスリップを越え大崎駅に到着 随分遠廻りしてるように感じるのは私だけでしょうか・・・又配線図の話から外れてしまいました申し訳有りません
  • yyoshikawa
  • 2024/01/20 (Sat) 17:57:04
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
yyoshikawaさん、ご投稿ありがとうございます。

>図録

図録に関しては油断しておりました。鉄道貨物関係の特別展は最近特に人気なのかもしれません。


>帰路は物博前の道を左折して八ッ山方向へ向かいます

グーグルマップをみながら興味深く拝読いたしました。

物流博物館の近辺は、品川駅から続く坂を登り切って道を曲がったあたりから急に閑静なお屋敷街といった雰囲気になるなぁと思っておりました。

大崎駅東口までは案外と近いのですね。都営浅草線の高輪台駅までは歩いたことがあるのですが、大崎駅の方はまだなので、今度、散策してみたいと思いました。ご案内ありがとうございました。
  • KASA
  • 2024/01/21 (Sun) 16:01:19
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
都営浅草線高輪台駅を抜けて左折して少し五反田方向へ歩いて横丁を右折して少し向かうと行き成り下り階段先はマンションの敷地に行くと思いきや階段下に左に向かう坂に出くわします坂を下るとNTT病院に出ますがそちらに向かわず手前を右折すると右側に普通のみちがありますが自動車通行禁止のバリケードが有りますが其のバリケードに乗用車が停車しておる何処から入って来るのかと思うと反対側に道が有る其方から廻って来るのです其の先に大谷石で出来た古い登り階段があり上がると高輪台駅から目黒に抜ける道から左折してきた道に出ます左折して坂を下ると矢張りNTT病院に出ますNTT病院前ゐ行くと五反田へ行けます右に向かうと途中左に向かう道が有り小学校の校舎と道を挟んだ体育館を結ぶ通路が道の上に渡されてます其処を潜ると左側に品川区立池田山公園があります崖下に池が有り滝も有り池には鯉が泳いでます昔の武家屋敷の庭園です崖をあがる石段をあがると眺めがよい公園の外は池田山の高級住宅街です少しくと美智子上皇后様の実家正田邸が有りましたが現在はねむの木庭園になってますさらに行くとインドネシア大使館が有ます池田山を下ると五反田東口付近の歓楽街が広がってます 隠居のブラブラ散歩です 自宅から品川区内は殆ど公共交通を利用せずに徒歩で行けるのが魅力ですが土地の高低が有るので場所によっては結行つらい所も有ります城南五山や西大井荏原等凸凹な地形です平坦なのは旧東海道沿い位です海岸沿いで昔は遠浅の海でしたので落語の品川心中の舞台です 京急品川駅を発車した普通列車が次に停車する駅は何故か北品川という笑い話があるが品川駅は港区高輪北品川は品川宿の北側でしたので北品川と名付けけた旧東海道から海岸方向へ行くと短い坂がありますが坂の下は嘗ては渚でした場所によっては海岸の防波堤の石組が所々残ってます 京急から山側に有る品川神社には都内最高峰の富士塚が有ります
  • yyoshikawa
  • 2024/01/22 (Mon) 18:02:01
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
yyoshikawaさん、ご投稿ありがとうございます。

再び、グーグルマップをみながら、興味深く「散策」いたしました。

地図だけではわかりにくいですが、坂も多く、起伏に富んだ地形のようです。品川区立池田山公園の北側はもう白金台なのですね。

ねむの木庭園の正面のところは、グーグルアースでもまだみれないようで、上皇后様のご実家があった頃の名残りでしょうか。

>城南五山

恥ずかしながら、これは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。

池田山、御殿山、島津山、花房山、八つ山の総称であることを学びました。
  • KASA
  • 2024/01/29 (Mon) 01:48:29
Re: 物流博物館
鉄道貨物と日本通運は切っても切れない間柄の関係です其の日本通運が長年蓄積していた物流のノウハウの保存展示を目的に博物館を高輪に開設した初めて物流博物館を訪れたのは開館間もない頃でした 通運最大大手の日本通運が開設した博物館期待以上でした本来ならば客先に届けられるべき荷物を梱包状態の儘保存していた事が感動ものでした一升瓶の木枠梱包木箱入り林檎等今では完全に見る事のないものです あと地下の映像ライブラリで日本通運が長年物流関係の映像を撮影保存して保存だけでなくデジタル画像化して動画展示していることです 荷物の運び方の映像等見ると今では考えられない方法で運んでいる女性が頭の上に大きな板を乗せて貨車に積み込んでる様子とか男性が素裸にふんどし一丁で荷物を運んだり今では考えられぬ然し今から60年位前は当たり前の風景だったのです
冬の時期雪で閉ざされた山奥の集落から村の住民が集団で雪をかき分け山を越えて郵便物や生活必需品等を開けた村迄取りに行くのです 
  • yyoshikawa
  • 2024/02/11 (Sun) 10:07:04
Re: 物流博物館 平原直を御存知ですか
日本通運に平原直という人物がおりました 物流業界において荷扱いの機械化に尽力を尽くしたS人物であり更に荷扱い全般にわたり記録を残した人物でもある彼が居なければ現在の物流博物館は存在しなかったであろうと思います 荷扱いの様子を多数の写真や映画フィルムで残した今回の企画展でも近代の写真は彼が撮影した物が展示されてる 地下で物流関係の保存動画が閲覧出きるコーナーで古い映像は彼が撮影したのが流されてます 彼が若し日通にいなかったらこれだけのコレクションは出来なかったのではと思う次第です 今回の企画展汐留駅と貨物鉄道と通運のあゆみの前の企画展で平原直の企画展が有り(残念ながら身に行きませんでした)企画展の図録は入手しました 今回のコメントは此の図録を見て投稿ℬした次第です
  • yyoshikawa
  • 2024/02/24 (Sat) 18:21:58
Re: 物流博物館 平原直
平原直企画展の図録掲載写真の数々女性が頭上に木材を乗せて無蓋車に積み込む 重い麻袋を首部分に乗せて運ぶ 腰抱き荷役 米俵ハイツケ作業 天秤による荷扱い
貨車を数人の力で人力移動 重い木箱を運ぶカドマワシ 空き樽を重ねて回転させて移動させるなど 人力荷役の数々をフォークリフトによる機械化を推進 荷扱いの書籍執筆講演 荷扱いの合理化のパレット化の推進等 平原直無くして日本通運発展の基盤は有り得ない又物だけでしょうか流博物館其の物も出来なかったのではと思うのは私cだけでしょうか
  • yyoshikawa
  • 2024/02/25 (Sun) 15:52:18
荷役近代化の父 平原直 Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
yyoshikawaさん、ご教示ありがとうございます。

恥ずかしながら、平原直氏については全く知りませんでした。

「荷役近代化の父」と言われる方のようです。

LOGI-BIZ onlineにて、2022年に掲載された記事が閲覧できるようです。

【独自】「苦役から人間を解放せよ」 荷役近代化の父・平原直の足跡を追う

前編 2022.06.01

https://online.logi-biz.com/60445/

中編 2022.06.02

https://online.logi-biz.com/60551/

後編 2022.06.03

https://online.logi-biz.com/60609/
  • KASA
  • 2024/02/29 (Thu) 01:13:27
Re: 物流博物館企画展汐留駅に見る貨物鉄道と通運の歩み展
江戸時代より物流の主役は人力馬力牛力及び船運でした 馬力は主に馬の背に荷物を積んで運ぶ方法です馬一頭ずつに荷物を載せて運びますが馬一匹に馬子が必ず一人ずつ付く多量の荷物を運搬には其れなりの馬が必要となります其の為街道の宿場には必ず馬D専用の宿が有った 牛力は主に荷車を牽引する方式でした馬の背に荷物を積むより多くの荷物が運べた唯当時我が国の街道は舗装されていない馬車輸送が主力のヨーロッツパでは石で道を舗装して対応していた其れと平野主体の地域事情から馬車輸送が主力となりえた 然し急峻な地形が連なる我が国では最大の平野は関東位で有り尚且つ戦国時代末迄馬は戦争に使うのが主流でした其れに比べ牛は馬より力が有る分荷車を牽引して物流に貢献していた唯し関西での使用が主体でした牛車が動き易くする為車石と云うのを道に引き詰めていた丁度軌道線見たいな状態でした 当時の陸上輸送では一番輸送力は有った 人力輸送は人の力で荷物を運ぶ背負子天秤棒肩乗せ頭の上に乗せる大猫車等が有りました 背負子で運ぶ場合米俵を五俵背負ってる女性の姿が画像で残ってます 天秤棒では前後に同じ重量の荷物を乗せて運んだ肩乗せは木材を運ぶのに適した運搬法であり今でも当たり前に建設工事現場では主流である頭上運搬は樽や俵板等を運ぶ大八車は牛車と同じであるが人力で牽引するので牛車程は積載出来ない猫車は狭い道等での荷物運搬には向いてました大八車はリヤカーに変化猫車も建設現場等で活躍しています 
最期に船運江戸時代最大の輸送量を誇ったのは水運である日本海を通る北前船は南向き航路は北海道の海産物主に昆布の輸送北向き航路では京都方面で造られた工芸品や織物製品等を北へ運んでいた北前船は日本海から瀬戸内を通り大阪に其の後太平洋に出て江戸東北を結んで荷物運搬していた江戸に向かう船便には各藩で収穫した米を江戸の各藩倉屋敷に運ぶ唯江戸湾(東京湾)御承知の如く遠浅ですので沖で停泊して笹船(川舟に積み替えて運河を通り倉屋敷に運び込んで武士の給金となった 他には荒川や利根川をさかのぼって荷物を運んだ矢張り船便が一番輸送量が高い小型船に積み替えて河川を遡り舟で行けなくなる所からは陸路で人力馬力等で運搬するのが通例であった
  • yyoshikawa
  • 2024/03/02 (Sat) 18:27:17

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