我が国鉄道黎明期本州は英国北海道は米国九州は独逸の技術で建設運営されていた当然ながら駅も其々の状況で造られていた本州は英国式に高いホームを当初より採用しており(今のホーム高よりは低い)相対式ホームに跨線橋駅舎は英国風であった 北海道は米国式の駅ホームは無く線路脇に米穀風駅舎が建つだけ乗客が居る時は旗を立てて列車を止める方式であった 九州は概ね英国方式に近いホームも存在しておる 車輛面から見ると北海道では我が国で最初に空気ブレーキや自動連結器の採用機関車は如何にも初期アメリカンなダイヤモンド煙突ベルが有るホームが無い分客車にはステップがあるオープンデッツキ中央廊下式で各車輛にハンドブレーキがある脆弱な軌道の為客車も貨車も全てボギー車であっつた 駅の配線は当時のアメリカの鉄道と同じ様な配線であると推測される 本州は英国式を採用したのでブレーキは真空ブレーキと蒸気ブレーキを採用客車はニ軸単車で京浜間ではあるがアメリカ式に両端オープンデッキ中央廊下式を採用していた 阪神間では客車は英国式にコンパートメント式車体長の短くで中央通路無し京浜間よりホーム高さは低い分ステップの段数が多い以前復元した最古の客車は阪神間用ンも客車で有り現在大宮鉄道博物館復元展示の説明板には今は其の旨記載されている桜木町に展示されてる復元客車は両端デッキ式中央廊下式の車体長Gは長い客車を復元展示した 当初本州の鉄道が英国式を採用し駅の配線も英国風に相対ホームに片側に駅舎貨物扱い設備等を設ける其の後に官設鉄道東海道本線が全線開通日本鉄道山陽鉄道等と連絡する様になり輸送量が増えると複線化が始まり相対ホーム非駅舎側外に側線を増設する様になり一部の駅では相対ホームの一本を島式に変し駅舎側ホームは副本線化する其の為主本線が駅の前後で不思議なカーブが存在する駅がある特に東海道本線東側にはそうゆう駅が多い逆ℬに西側は島式ホームに中線という形状になったのは国有化後の管理局毎の考えの相違があったのではとおもうのですが 空く迄個人の見解としての打てますのであしからず
- yyoshikawa
- 2024/04/20 (Sat) 18:18:47